【宣伝・広告枠】

宣伝ー新刊書籍『わたしが、認知症になったら~介護士の父が記した20の手紙』

ーこちらは広告枠としてページを提供させていただいていますー

今回は、9月23日に全国の書店で販売開始となる「わたしが、認知症になったら~介護士の父が記していた20の手紙」をご紹介をいたします。

日本には、認知症を患う人が500万人いるということをご存知でしたか?

もし、認知症患者に3人の家族がいたと仮定したら・・・
全国2,000万人の家族が日々認知症に直面していることになります。

認知症という病気を患ってしまったら・・。

認知症の家族を介護をすることになったら・・。

本書では、17年間、介護士の経験を積む原川大介が認知症によって生じる家族の辛さや苦労を減らすために書いた1冊です。

ストーリー形式なので、認知症を全く知らない人にもわかりやすい構成になっています。

だれもが、認知症になる可能性がある「私」や「私の家族」のためにこの本が役にたてば幸いです。

書籍『わたしが、認知症になったら』

本書「わたしが、認知症になったら」を紹介するまえに、一つだけお伝えしたいことがあります。

認知症患者を抱える家族は、一体どんなことを不安に感じたり、悩むのかご存知でしょうか?

認知症を抱えた家族の苦悩の声

認知症の症状と家族の心境とは?

☑同じことを何度も繰り返すのをみるのがつらい。

☑話が通じないから、イライラする。

☑知らないうちに外に出て行ってしまい、高速道路を歩いているのを発見された。

☑危険なことをしようとするから止めると、優しかったお父さんが大声を出して暴れる。

☑(認知症の)主人を殺して、私も一緒に死ぬしかないと感じる。

☑ほかの家族や親せきが介護の大変さを解ってくれない。

☑施設に入所できたが、果たしてそれが正しかったのか悩む。

☑私のことを忘れてしまったことが、悲しい。

☑介護で自分の時間がなくなってしまった。

☑とにかく疲れる。いっそ死んでほしい…。

このような複雑な心境のご家族をたくさん見てきました。

本書の内容

本書では認知症を患う本人とその家族から学んだことを元に「介護する家族」に焦点を当てた内容です。

ストーリーは介護士の父が、医者から認知症と宣告された日に、娘に手紙を渡すところから始まり、手紙の中で、残された家族がどのような心構えで過ごせばいいのかを伝えています。

認知症=不幸とは限りませんが、多くの方が、認知症によって苦しい思いを抱えています。

本書は下記のことが学べます。

①認知症患者が家族へ伝えたいこと
②家族の心がまえ
③認知症患者への対応方法
④認知症の基礎知識
⑤介護保険サービスの利用方法とポイント

介護現場で働く著者が伝える『認知症』の話は、死と向き合う辛さと悲しさだけなく、親子の愛を感じとれるストーリです。

▼サイトはこちらから▼

著者の自己紹介

本書「わたしが、認知症になったら」の著者、原川大介と申します。


18 年前に特別養護老人ホー ムのパート介護職員として介護を始めました。

当初はお寿司屋さんで、朝 5 時からシャリ焚きの バイトをした後に、遅番勤務をこなす日々でした。

その後、正社員となり特養介護職やデイ サービス、ショートステイの管理者、相談員、ケアマネジャー、特養部長、経営業務などを務めながら、介護に取り組んできました。

趣味は座禅

大きな失敗や挫折もしましたが、現在は一つの施設で統括マネジャーを務める傍ら、市外のいくつかの介護施設運営をサポートしています。

週に1回は、林叟院(りんそういん)というお寺で坐禅をします。

林叟院(りんそういん)は静岡県焼津市の高草山にある550年の歴史をもつ、曹洞宗のお寺ですがご存知でしょうか?

最近はアジサイで有名ですが、現住職の実父である故・鈴木俊隆さんは、アメリカに禅を広めた方です。

アップル社の故スティーブ・ジョブズとも親交が深く、俊隆さんはジョブズの自伝にも登場しています。

坐禅との出会い

現住職の方丈さんも曹洞宗の中でとても偉い立場の方ですが、そんなこと微塵も感じさせません。

ジョブズは生前、お世話になった俊隆さんのご子息(方丈さん)に会うため、林叟院に来訪しようとしたことがあります。

でも方丈さんは、先約があったため、あっさりと断ってしまいました。

先約の内容は聞いていませんが、たとえ、「地域の方の法事」だったとしても、あのジョブズの来訪を断ったと思います。

そんな人です。

なぜこんなことを知っているかと言えば、19年前に1週間、ただ家族のように過ごしたことがあるからです。

高校時代の思い出

高校卒業後、上京して挫折し四国八十八か所巡りを経て焼津に戻り、「さあ、これからどう生きようか?」と悩み伺った僕を受け入れてくださいました。

あの経験が、後の介護との出会いや現在に繋がっています。林叟院(りんそういん)と林叟院(りんそういん)の面々は、僕の大切な恩人です。

このお寺では、毎朝6時から坐禅会を行っています。

誰でも気軽に参加できますので、もしよかったら参加してみてください。

動いても居眠りしても叩かれませんよ。

著者の幼少期

私が10歳まで暮らしたアパートです。

いちばん手前に映っている豪邸の右半分が我が家でした。

トイレはボットン、(お風呂含め)お湯が出る水道は1つもない、情緒溢れる家でした。

大人になるまで気づきませんでしたが、どちらかと言えば貧乏だったのかもしれません。

また、小学2年生の頃から靴下に穴が空くと自分で縫っていたので、今も上手です。

保育園の頃の雪見遠足でのこと。

皆が親にラムネを買ってもらっている中、私だけ無料のお茶を啜っていた記憶があります。

好きな言葉

僕の好きな言葉や、人から言われて嬉しい言葉を紹介します。

好きな言葉は、『踊るアホに踊らぬアホ、同じアホなら踊らにゃ損損』です。

人から言われて嬉しい言葉は、学生時代は「面白い」「変わってるね」でしたが、
現在は「毛量多いね」なんて言われると、将来もフサフサでいられる気がして元気がでます。

子どもの頃の夢

30年前、小学生の頃はJリーグ開幕に湧き、Jリーガーなどを夢みる僕は「スーパーの店頭で売っている焼き鳥をお腹一杯たべること」が夢でした。


実際には、とり皮のタレを10本、塩を5本、ももタレ10本、レバー1本…などアリアリと思い描き、高校1年生の時に、王将で時給700円で稼いだバイト代で15本まで食べて飽きた思い出があります。

中学生のころ

今から25年前、14歳の頃からは「本を出して爆売れすること」が夢でした。

「東京に行けば夢が実現する!」と本気で思い込んでいたので、高校卒業後は上京し、毎日2時30分から新聞配達をして、専門学校に通い、挫折しました。

ディスカヴァー21へ応募

本を出版したいという夢から20年。

著者のひすいこうたろうさんの書籍「あした死ぬかもよ」の質問のひとつ「人生最後の日、何に泣きたいほど後悔するだろう?」への答えが「本を書かなかったこと」でした。

実は、14歳から本を出すことを夢見ながら、長らくその気持ちから目を背けていました。

今思えば、それなりに幸せな日々を送っている時も、常に頭や心の片隅に本を出版したいと決意し、3年前に、毎日朝3時に起きて、60,000字の文章を書きあげました。

そして書き上げた原稿を、憧れの出版社であったディスカヴァー21の原稿募集窓口に応募しましたが、1カ月経っても音沙汰がありませんでした。

それでもあきらめきれず、SNSを活用し、ディスカヴァー21の創業社長の干場弓子さんに直接原稿を送ったところ、奇跡が起きたのです。

出版社の創業社長からの手紙

出版業界では、知らない人がいないほどの著名人!
ディスカヴァー21の創設者の干場弓子さんから、ある日返事が来たことで、流れが急転しました。

手紙の内容を一部公開

原川大介様

感動しました。そして、楽になりました。

というのも、91歳と89歳の両親が、それぞれ、糖尿と腎臓が老化で・・・。

階下に、クリニックやデイサービスのある支援付き自立型マンションに住んでいるので、安心ではありますが、この一年で、父は、急激に足の具合が悪くなって歩行がかなり難しくなり、それにともなって認知症の気配が出てきて、昨日のことを忘れるようになり、母は、透析一歩手前で、入浴時には、ヘルパーさんに見ていてもらわないと、転倒が心配なほどになり・・・。

頂いた原稿は、両親から自分が言われているようでもあり、それ以上に、息子に私が読ませてあげたいものでもありました。

「この原稿を多くの方に読んでもらいたい」

「知ってもらいたい」

そう思いました。

認知症のこと、老いるとはどういうことかということを、これほどリアルに、そして愛を持って語られたものを読んだことがなかったからです。

感動しました。そして、楽になりました。

▼サイトはこちらから▼

最後に

以前から、ディスカヴァー21という出版社の本が好きだったので、創設者の干場弓子さんからご返事をいただき、夢のような気分になりました。

「本を出版して100万部突破したい」という夢をもち、学校帰りに書店で立ち読みしながら自分の本が並ぶ未来を空想したこともありました。

高校卒業後「東京に行きさえすれば、きっと叶う」と思い込み上京しましたが、東京でのヒモ生活や四国八十八カ所巡り等の旅を経て、たまたま介護の仕事に就きました。

手取り給与が10万円そこそこでしたが「今より給料が減っても、介護の仕事を続けると思う」と介護の仕事は楽しいと感じ、親友に語ったことを覚えています。

なによりも、介護を通して「人を愛すること」「人から愛されること」を取り戻すことができたからです。

今はさすがにそんな値段では働けませんが、お金のためだけではない遣り甲斐を感じながら、介護の仕事を続けています。

そんな僕にこの度、奇跡のような幸運に恵まれ、本を出版することが決まったのです。

本書は「長年、介護の仕事をしていた父親が、自分が認知症になる日に備えて書いた娘への手紙」という構成で、誰もが当事者になりうる、あなたへの手紙です。

認知症になったご家族が、あなたに伝えたい言葉だと思って読んでいただきたいと思います。

▼《認知症の正しい介護の接し方》が動画でも紹介されました▼

最後までお読みいただきありがとうございました。